〔小学校5年生 昭和41年 担任 豊永先生〕 昨年の春 長女 直子が突然 高校の校長室に呼び出された。 かなり 緊張して 校長室まで歩いていったに違いない。 〔直子は緊張して歩くと、手と足がそろって動いてしまう。〕 「これを お父さんに 渡してください。」 と 言われ B4が入る大きい封筒をもらって来ました。 封筒の中には ![]() 僕が小学校五年の時に図工で彫った 版画が入っていました。 B4のワラ半紙に ガリ版の青インクで刷ってありました。 あの時代そのものが 黄ばんだ一枚の版画から プンプン 匂ってきました。 そして 驚きました。 本当に自分が彫ったのかと・・・・。 顔と首の自由奔放・豪快な線の表現。 早速、お礼のハガキを出しました。 33年間も大事に 保存しておいて くれてたのですね・・・。 僕の版画を保存していた33年間 先生は僕の面影を ずっと忘れることなく 持ち続けていたのかも知れない。 それとも 先生は 成長していく僕を 密かに想像していたのだろうか。 後日わかったことですが 先生は かつての教え子に会った時に 保存しておいた版画を返していたらしい。 まだ 何人かの版画を 保存しているそうです。 先生という職業にはロマンがあります。 ![]() 豊永先生は小学校では 二年間しか教師をしていない。 あとは ずっと高校で国語、漢文、古文を 教えていたらしい。 現在は 長女の通う春日井西高の 校長先生をやっています。 僕が先生に習った五年生の一年間は 本当に楽しい一年間でありました。 教師になって二年目の先生は若かった。 スポーツ万能。特に足が速かった。 ユーモア抜群。 授業は脱線ばかり。 五年四組は笑い声が、絶えなかった。 休憩時間には よく僕等と一緒に遊んでくれました。 先生のコマ回しは最高の技術でした。 コマ紐を肩に掛けて コマを肩から手のひらへ移動させる技を見せられた時 遊び盛りの僕等は こころから この先生を尊敬 崇拝した。 小学校の頃 先生のなかには 特攻隊の生き残り と言われた怖い先生が 二、三人いた。 若くて楽しい先生に当たった 僕等は 幸運児であった。 ![]() 豊永先生の机の上にはいつも ウイスキーの黒いボトルが置いてあった。 ![]() 中には 麦茶が入っていました。 |
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